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名古屋高等裁判所 昭和56年(う)333号 判決 1982年8月26日

被告人 有限会社大洋モータース ほか二人

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人三名の連帯負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人らの弁護人岡力作成の控訴趣意書及び控訴趣意補充書(なお、当審第一、二回公判調書中の弁護人の釈明参照)に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一の一、第二の一、控訴趣意補充書(分解整備の実施に関する事実誤認の主張)について

所論は要するに、原判決は被告人長谷部一雄及び同岡敏夫(以下被告人両名という。)並びに関係人の捜査官に対する原判示の各車両を整備しなかつた旨の供述を基礎として事実を認定したものであるが、被告人有限会社大洋モータース(以下被告人会社という。)は岡田正秋から検察官の主張する看板料のほかに修理代か部品代として捜査段階で明らかになつていた(1)昭和五〇年四月一日受領の一七〇〇円及び同日受領の(2)四万五〇〇〇円、(3)同月八日受領の八〇〇円の支払いを受けており、そのほかに原審での取調べの結果明らかになつた(4)同年四月一一日受領の八万二五五〇円、(5)同年五月一〇日受領の六万五〇〇〇円の支払いを受けている。これらの支払いを受けた事実からみても、被告人会社において本件各車両を整備したことは明白であるのに、それらが検察官主張部分の修理代又は部品代であることの立証がないことから、客観的証拠によつて反論し得ないまま述べた信用性のない被告人両名や関係者の実体に沿わない供述を採用して、被告人会社において本件各車両の原判示各部分の分解整備をしなかつたと認定した原判決は、立証責任の法則の適用を誤つた結果事実を誤認したものであるというのである。

所論にかんがみ本件記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討すると、原判決挙示の証拠によれば、原判示事実を十分に認めることができる。すなわち、

(一)  被告人長谷部は、(証拠略)で、同人は指定自動車整備事業の指定を受けている被告人会社の代表者であるが、昭和五〇年二月末ころから三月中ころにかけて、自動車分解整備事業を営む岡田自動車の岡田正秋から、同人方で継続検査しための整備をした車両について被告人会社で車検手続をして貰いたい旨の依頼を受けてこれを承諾し、同年三月中旬ころ、被告人会社の自動車検査員である被告人岡に対し、岡田自動車で整備した車両を持つて来るから、その車検検査をし指定整備記録簿には岡田自動車でした整備状況に合わせて適当に記載しておくように命じ、原判示の各車両については分解整備をしていないのに、それぞれ分解整備をしたように指定整備記録簿に記載したうえ、一台につき五〇〇〇円の料金を受領して車検手続をした旨自白し、特に(証拠略)では、原判示各車両については受入検査、整備、中間検査、完成検査を省略して車検検査をした旨供述しており、被告人岡は、(証拠略)で、同人は被告人会社の自動車検査員であるが、昭和五〇年三月中旬ころ被告人長谷部から岡田自動車で整備した車を持つて来るから車検手続をしてやつてくれといわれてこれを承諾し、原判示各車両について、電球を交換したものはあつたが、継続検査のための分解整備をしなかつたのに、岡田自動車でした分解整備や定期点検基準による点検箇所を、すべて被告人会社で整備したもののように指定整備記録簿に虚偽の記載をして車検手続をした旨自白し、特に(証拠略)では、これらの車両については受入検査、整備、中間検査を省略し、外部点検と、ブレーキテスト、スピードメーターテストなど保安基準に適合しているかどうかについて各テスターにかけて検査したのみであつた旨の供述をしている。

(二)  所論が右被告人両名の自白の信用性を争う論拠とする金員の支払いについてみると、(証拠略)によれば、所論主張の(1)ないし(5)の各金員が岡田自動車から被告人会社に支払われていることは明らかである。そこでこれらの支払いの趣旨について考察する。右(1)の一七〇〇円及び(3)の八〇〇円は、(証拠略)によれば、被告人が原判示車両の点検をした際に燈火回りの電球の切れたものを交換したものはあるが分解整備をしたことがないと述べていることからみて、当時点検した車両のうちの一見して判明する右供述のような部分の修理部品代であることが認められる。(2)の四万五〇〇〇円については、会計伝票中の昭和五〇年四月一日分中に「岡田自動車九台分」との注釈が付されていること、(証拠略)にそのうち三万円は車両六台分の報酬である旨の供述記載があること、(証拠略)によれば、被告人会社は原判示の起訴された一〇台のほかにも、昭和五〇年二月下旬に佐藤孝弘の三・一一さ三三二二号車、同年三月中旬に内山マサハルの三・五五そ八〇一一号車、同年三月下旬に嶋田信男の三・五五の七二五四号車について岡田から車検の依頼を受けて処理していることが認められること、また、(証拠略)中の昭和五〇年三月二〇日分の記載をこれらに加えてみると、同月二〇日ころにも岡田から起訴された以外のスカイライン車一台の車検依頼を受けて処理していることが推認されることを総合して考えてみると、右のうちの三万円は原判示別表一ないし六の車両六台分のいわゆる看板料の支払いで、その残りの一万五〇〇〇円は起訴外の右にあげた車両のうちの三台分の車検手続のいわゆる看板料の支払いであつたと認めるのが相当である。(4)の八万二五五〇円及び(5)の六万五〇〇〇円については、(証拠略)によれば、(4)は昭和五〇年二月二一日から同年三月二〇日までに生じた債権であり、(5)は、同年三月二一日から四月二〇日までに生じた債権であつて、これらを各月の二〇日付けで請求してそれぞれ所論主張の日に支払いを受けたものであることが認められるが、まず(4)については、(証拠略)によれば、原判示の車両中最初の佐藤孝弘の三・一一さ五二七〇号車の適合証交付は同年三月二二日であるから、同車の納入は同日以後であることは明らかであり、(証拠略)によれば部品代、修理代などは通常は納車の日が代金の請求日であるというのであるから、同年三月二〇日締切りの請求中に原判示の各車両の部品代などが含まれることはあり得ないので、(4)の八万二五五〇円は原判示の各車両とは全く関係のない支払いであることが認められる。この支払いについては、(証拠略)によれば、原判示各車両のほかの佐藤孝弘の車両一台(時期的にみて三・一一さ三三二二号車と推認するのが相当)、内山マサハルの三・五五そ八〇一一号車を岡田自動車で整備せず、被告人会社で整備点検したと供述していることを考え併せると、右八万二五五〇円は原判示外の車両の整備代、部品代などを同年三月二〇日締切分として被告人会社から岡田自動車に請求して翌月一一日にその支払いを受けたものと認めるのが相当である。次に(5)の六万五〇〇〇円については、(証拠略)によれば、そのうち金四万五〇〇〇円は岡田自動車が被告人会社から購入したリフトの代金で、残りの二万円は、当時岡田から車検整備及び板金を依頼された本件公訴事実外の嶋田信男の三・五五の七二五四号車の板金、整備代であると認めるのが相当である。

(三)  従つて、被告人会社が岡田から車検手続を依頼された原判示各車両については、一台について五〇〇〇円の料金を受け取つたほか一部のものについて電球交換などの部品代合計二五〇〇円を受け取つたのみで、その他に部品代や修理代を受領していないと認められる。元来、原判示各車両について車検整備をした場合の整備料は、(証拠略)によれば、本件車検時には一台につき八万円ないし一二万円であつたことが認められる。そうであるとすれば、経済的な採算を度外視して一台につき五〇〇〇円の整備料の支払いを受けて一台につき八万円ないし一二万円に匹敵する整備をしたとする被告人両名の原審及び当審における各供述は、自動車整備業者の業務処理としては経験則に照らして理解し難いものがあり、整備をほとんどせず一台につき五〇〇〇円の料金を受け車検手続のみをしたという被告人両名の捜査官に対する各供述調書中の供述のほうが現実の状況に沿うものとして措信することができる。

(四)  捜査官に対する供述は強制誘導などによつてさせられた事実に沿わないものであるという被告人両名の原審及び当審における各供述は、その内容が右のように経験則に反するうえ、本件の捜査担当者であつた原審証人久保辰弥、同鳥飼勤の被告人両名がした任意の供述を録取した旨の供述に徴し措信できず、また、論旨に沿う原審証人秋田清の供述も、前叙の経験則に沿わないものであると共に、その検察官に述べた供述内容とも相反すること、同人が被告人会社の従業員であり被告人両名との人間的職場的な関係から同人らに不利益な供述をしにくい立場にあることなどを考慮すると、これも措信することができない。

以上の証拠により認められる事実によれば、被告人らが原判示の各車両について分解整備をしたことによる整備代や部品代を受領したことはないと認められるのであつて、原判示各部分の分解整備をしなかつたと認定した原判決の事実認定は正当であり、何ら立証責任の法則に反したものではない。原判決には所論主張のような事実誤認は存しない。論旨は理由がない。

控訴趣意第一の二(行政指導に関する事実誤認の主張)について

所論は要するに、かりに被告人会社において原判示の各車両について分解整備をしていないとしても、指定整備業者に持ち込まれた車両が、その直前に他の整備業者によつて部分的に部品の取り換えなどの整備がなされている場合には、その確認ができれば分解マークを記入せよとの陸運当局の行政指導があり、被告人両名はその行政指導の趣旨に従つて本件各指定整備記録簿に分解した旨の記載をしたものであるから、違法性を阻却し、又は違法性の認識を欠いているのに、そのことを認めず被告人らに有罪を言い渡した原判決は、事実を誤認したものであるというのである。

所論にかんがみ本件記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、(証拠略)を総合すれば、行政当局の係官として所論主張のような行政指導をしたことはないことが認められる。また、この点について被告人両名は、(証拠略)中では、原判示各車両について分解整備をしていないのに分解整備をしたように指定整備記録簿に記載することは不正であつたと自認する趣旨の供述をしており、(証拠略)も、かかる行為は法律上許されないことを認識していることを推認させる自動車整備業者としての常識を供述している。

これらの証拠の趣旨を否定し所論に沿う被告人両名の原審及び当審における各供述、被告人長谷部の検察官に対する供述調書第六項の記載は、前記各証拠に照らして不自然なものであつて措信できない。従つて、論旨はその前提を欠き、所論主張のような行政指導により本件について違法性を阻却する事由の存在したことは認められない。また、被告人両名も本件行為の違法性を認識していたものと認められる。そうしてみると、原判決には所論主張のような事実誤認は存しない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二の二(法令の解釈適用の誤りの主張)について

所論は要するに、原判決は、被告人両名が原判示の各車両の分解整備をしていないのに分解整備をした旨の内容虚偽の記載をした旨を認定し、道路運送車両法一一〇条四号、九四条の六第一項を適用したが、同法九四条の六第一項が指定整備記録簿に記載を要求する事項は「整備の概要」であり、「分解」という語は法規範性のない自整第二八〇号の「定期点検実施要領」中にあるもので、分解という語を使うか否か、また、どの程度の作業を分解と呼ぶかは右法条の定めるところではない。従つて、指定整備記録簿に分解を意味する記号を記載し、その整備内容が右定期点検の実施要領に定める整備作業を経ていないとしても、これをもつて直ちに右法条の整備概要の記載に虚偽があつたとはいえない。しかも被告人らは前記主張にかかる整備代や部品代に相当する作業をしており、それが、かりに右実施要領にいう「分解」にあたらないとしても、右記載は虚偽としての法的評価を受けるものではないから、原判決は法令の解釈適用を誤つたものであるというのである。

所論にかんがみ本件記録を調査して検討すると、道路運送車両法一一〇条四号、一一一条は、指定自動車整備事業者の代表者や従業者が同法九四条の六第一項の指定整備記録簿に虚偽の記載をすることを処罰する規定であるが、右規定は右記録簿の記載事項に関し一切の虚偽の記載を処罰する趣旨であると解すべきであり、同項二号の定める「整備の概要」についていえば、整備の重要な一方法である分解をした旨が整備の概要に含まれることは言うを待たないところである。

所論は昭和四六年自整第二八〇号の定期点検実施要領は単なる指導基準であつて法規範性のないものであるというが、同法九四条の六にいう保安基準適合証等を交付した自動車は同法九四条の五第一、二項の整備及び検査を前提とするものであり、同法条は、その整備は運輸省令で定める基準によるものとし、その省令にあたるのは指定自動車整備事業規則六条である。同条は整備の基準として自動車点検基準(昭和二六年八月一〇日運輸省令第七〇号)の定めるすべての点検を行い、その結果必要な整備を行うこととしており、同基準の具体的な実施要領を示したものが昭和四六年自整第二八〇号運輸省自動車局整備部整備課長通達別紙の定期点検実施要領であるから、同要領中にある分解とは同法九四条の六第一項二号の整備を行うのに必要な一方法であることが明らかであり、右実施要領自体が法規範性のないものだからといつて、点検箇所を分解した旨が前記法条にいう整備の概要に含まれることに少しも変りはないのである。なお、所論は分解の意義について、その作業の程度などを問題にしているが、右実施要領にいう分解が前記点検基準の定める点検、整備を行うのに必要な程度行われなければならないことはおのずから明らかである(なお、法律上の「分解整備」の意義については同法四九条二項、同法施行規則三条が定めており、原判示各作業部位の分解はこれに含まれる。)のみならず、被告人会社の従業員が原判示各車両の各箇所について分解作業を全くしていないことは前記第一の一の論旨に対する判断で示したとおりであるから、本件においては分解の意義について、作業の程度に言及するまでもない。従つて、原判決には法令の解釈適用について所論のような誤りは存しない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二の三(法令の解釈適用の誤りの主張)について

所論は要するに、原判決は原判示所為は実質的に見て指定整備記録簿の記載内容に対する社会の信頼を害する危険性を持つた行為であるというが、同記録簿は社会に流通若しくは公開せらるべきことを予想した文書ではないので、社会の信頼を害する危険性の潜む余地はない。その記載は車両の履歴を明らかにすることを目的とするものであるから、道路運送車両法一一〇条四号の虚偽の記載とは車両の整備の履歴が真実に反する場合に限られ、本件のように他の業者が整備した場合であつても、その整備が完全になされたことを点検、確認し、実質的に車両の履歴に偽りのないときは、虚偽の記載とする趣旨ではないのに、原判示所為を同法条の虚偽の記載にあたるとした原判決は、右法条の解釈適用を誤つているというのである。

所論にかんがみ、本件記録を調査して検討するに、道路運送車両法九四条の六の指定整備記録簿は、国民生活の安全に直接にかかわる自動車の安全性の確保のために同法の定める自動車の検査制度の一環として国の行う検査の一部を代行する指定自動車整備事業者に対し、その業務の公共性及び重要性にかんがみ同法が備えつけることを義務づけたものである。右の趣旨に照らし同記録簿は、所論主張のように単に当該車両の履歴を明らかにするためだけのものと解することはできない。すなわち、同記録簿は、刑法上法令により公務に従事するとみなされる指定自動車整備事業者や自動車検査員ら(同法九四条の七)の整備及び検査に関する自らの記録であると共に、監督官庁の指定自動車整備事業者、自動車検査員らに対する監督指導(同法九四条の三第二項、九四条の四第四項、九四条の八など)のための重要な資料となるものであり、また対社会的には自動車使用者らに対して整備の内容を証明する資料(例えば、整備の不備に起因する交通事故に関する損害賠償事件において)などになるものというべきであり、その真実記載義務及びその違反に対する罰則は、同記録簿の記載の正確性を担保し、自動車の整備及び検査並びにこれに対する監督指導の適正、併せて同記録簿に対する公の信用という法益を保護するものと解すべきである。同法九四条の六第二項が同記録簿をその記載の日から二年間保存することを義務づけているのも、その記録の右の資料などとしての重要性に基づくものであるというべきである。しかるに本件では、被告人両名は記録簿に記載されている検査主任者や整備作業員が実施していない分解整備を同人らが実施した旨の記載をしており、右の記載が虚偽であることはいうまでもなく、右の所為が前記法益を侵害する危険を包蔵することも明らかである。かりに所論主張のように原判示各車両について岡田自動車において記録簿記載のものと同程度の整備作業がなされていたとしても、右のことには変りがない。自動車検査員は本来他の事業場の検査員となることはできないのであり(同法九四条の四第二項)、ことに被告人両名の原判示所為は、所論に従つても指定自動車整備事業者でないもののした整備を指定自動車整備事業者のした整備であると偽つて記載したことになり、右は整備者の資格を厳格に規制することによつて、整備の適正を期するという同法の立法趣旨を潜脱し、整備に関する法の規定の根幹をゆるがす違反行為であるといわざるを得ない。原判決には法令の解釈適用について所論のような誤りは存しない。所論は独自の見解に基づくものであつて採用できず、論旨は理由がない。

控訴趣意第二の四(公訴権濫用の主張)について

所論は要するに、原判決は本件公訴について検察官の公訴権の濫用がないというが、(1)行政指導上指定整備記録簿中の分解が必要とされる部分には分解不可能な部分があり、陸運当局の行政監査では、かかる部分についても分解マークの記載を求めているので、本件のように虚偽記載を問題とすれば、すべての整備業者に共通の問題となること、(2)自動車整備の実情は建前の法とは一致するものではないこと、(3)本件では実害が全く発生していないこと、その他本件行為の具体的諸事情を考慮すれば、本件公訴提起は検察官の裁量の範囲を超えてなされたもので公訴権の濫用にあたるから、原判決には不法に公訴を受理した違法があるというのである。

所論にかんがみ、本件記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討すると、証拠によれば、本件起訴状記載の公訴事実中の作業部位には被告人らに対し不可能な分解整備を強いるものは存しない。また被告人らの本件行為は前に述べたとおり、道路運送車両法の立法の趣旨に反するもので、このような行為を実情として黙認することは、自動車の安全性の確保の上から考えても到底許されないところである。特に被告人両名は刑法上公務に従事するものとみなされる地位にあり、かつ、正確性の強く要求される職務の遂行に関して本件行為に及んだものであつて、その態様や処理台数からみても犯情が軽微であるとはいえず、同種違反者らも多数起訴処分を受けていることがうかがわれるなどの諸事情を考えると、本件公訴の提起が公訴権を濫用したものであるとは到底認められず、原判決には所論主張のような違法は存しない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二の五(法令の解釈適用の誤りの主張)について

所論は要するに、原判示各車両の整備について不備はないので、本件行為は有害な結果を招く社会的危険性がなかつたのに、これを道路運送車両法一一〇条四号、九四条の六第一項にあたると解することは、実害なければ刑罰なしの原則に反し、また罪刑法定主義の趣旨に反するもので、原判決は法令の解釈適用を誤つたものであるというのである。

所論にかんがみ、本件記録を調査して検討すると、所論指摘の実害なければ刑罰なしの原則は、刑法の解釈論の原則としては採用し難いものであり、かつ、被告人らの原判示所為が法益侵害の危険を包蔵していることは前記第二の三の論旨に対し説示したとおりであり、また、被告人らの原判示所為に適用すべき前記罰則の構成要件は「同法九四条の六第一項の規定による指定整備記録簿に虚偽の記載をした者」であると解することができ、右規定は明確であり一般人も十分理解しうるものと認められるから、右罰則を本件に適用することが罪刑法定主義に反するとはいえない。原判決には所論主張のような法令の解釈適用の誤りは存しない。論旨は理由がない。

よつて、本件各控訴は理由がないから、刑訴法三九六条によりこれらを棄却し、当審における訴訟費用は、同法一八一条一項本文、一八二条により被告人三名に連帯して負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 小野慶二 河合長志 鈴木之夫)

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